宇宙のコスミで

13の月の暦、アーユルヴェーダ、呼吸法、シンギングボウル。いろいろ学んでいることについて、または日常のあれこれについて、マイペースで語るブログです。愛してやまないSMAP、新しい地図のことなども☆どなた様もごゆるりと^_−☆

太陽の月

f:id:whitewind242:20160307101630j:plain


13の月の暦では今日から9番目の月「太陽の月 Solar Moon」です。

今月の問いは「どうしたら私の目的に達するのか」(うんうんにゃるほど)、動物とその働きが「ジャガーは意図を脈動させる」(こちらはよくわかりませんにゃ^^;)、4月3日までの28日のスタート。


太陽の月の初日ですが千葉は土砂降り。


私の心も土砂降りです…なんて、また波動が下がるような記事をUPしておりますが^^;もしかしたらこんな気持ちも、巡り巡ってどなた様かの力になる日が来るかもしれないし、自分のためにもきっとなるんだと信じて、目を逸らさず書き残そうと決意しています。


土砂降りの原因は、父です。

先週、三週間ぶりにやっと福岡の姉宅に戻った父ですが、想像した通り…いえ想像以上にうまくいかず、毎日荒れ狂っています。


病院を拒否し薬も飲まず、なのですから良くなるわけもないんですけど、会いたい人に会い行きたい場所に行き、喋りたいだけ喋ったのだからある程度は気が済んで少しは落ち着いてくれることを期待していました。

姉宅で暮らすことについても自分が折れる、そこでしか暮らせないのだから…と話していたし、気持ちの根底には姉や義兄への感謝もあるはずだと解釈していたんです。


それが、蓋を開けてみれば家出する前よりも厄介な状態になっていて。


ほとんど理不尽な細かい要求を姉にぶつけ、少しでも気に沿わないとキレる怒鳴る罵る。

そして延々と同じ話を繰り返し人を悪し様に言い、自分がいかに優れていてなにもかも分かっているか、周囲がいかに馬鹿で無理解で不寛容で勝手であるかを嘆く…全ては病気のせいだと頭では分かっていても、直面する人間はたまらないです。


私にも連日連夜電話をかけてきて、姉夫婦の悪口(あいつら何も変わっていない、あいつらは恩知らずだ、あいつらとは暮らせない…など)を数十分まくしたて、ついに昨夜は「もう俺は決めた、お前を助ける。だからお前の家のそばに2DKか3DKの部屋を見つけてくれ!」と言ってきました…。


ずっとお地蔵さんのように傾聴してきましたが、もはや限界でした( ;  ; )


「私を助けるってどういうこと?私のそばで暮らすこと?それは無理です、私はいまこれ以上抱えられない、無理です」


言ってしまいました…病気の父を拒絶する言葉を、ついに。


大好きだった父。

若いころは物静かでハンサムで(昔はイケメンなんて言わなかったですよね^^;)、穏やかでユーモアがあって優しくて、知識が豊富で多趣味で、真面目だけど気骨があるから変な上司には正面からぶつかり、出世街道からは外れたけど部下からは慕われていた父。


生前、躁鬱の母の精神状態が安定しなかった分、私は父をずっと頼りにしてきたし、数年前に明らかにおかしくなったときですら、父の病気を悲しみこそすれ憎むことはなかったのに…病気ではなく「今の父そのもの」を拒絶してしまった気がします。


ショックだったと思います。

私だけは…と父も何処かで思っていたでしょうし、これまで黙って受け止めてきたのになぜ豹変したんだ⁉︎と呆然としているかもしれない。


「お前までそうか!誰に洗脳されたんだ!〇〇か!(姉の名前)」と叫ぶ父の声が耳に焼き付いてしまいました。


私にとっては、姉も大切な家族。

母のことで幼いころから苦楽を共にした同士でもあり、数年前に父が変わり始めてからは再び姉妹でしか分かち合えない気持ちを支えあってきた大切な存在です。

気性が激しい部分はあるけど、その分ウソがなくて本当は私なんかより遥かに遥かに優しい人なのに。


病気を憎むべきで、冷静にこの先どうしたらいいのかを考えるときなのに、動揺してしまいまた昨夜の眠りは極浅^^;

おまけにオットも心身疲れ果てており、毎朝這うように会社に行っているので、それを少しでも支えたいと私なりに気を張っている日々です。


正直、キャパオーバー( ;  ; )


たとえオットが元気だとしても、今の父と一緒に暮らせるかと言われたら私は「無理」なんですよね…卑怯だなぁと感じますよ、我ながら。


実際、姉夫婦も限界なので。

義兄は胃潰瘍寸前だし、強靭な精神力を持つ姉も先日「私にしては珍しく泣いた」とメールに書いてきたし、病院に行ってくれない限りは、誰もあの父と一緒になんか暮らせないと思います…。


外部の方(役所の高齢者相談窓口やケースワーカー)にお願いするしかない状況なので、姉が今週末に来てもらえるよう手配すると言ってきてくれました。


それまで、どうか姉夫婦がもちこたえてくれますように。

父が少しでも穏やかになってくれますように。

週末に、新しい方向性が見えますように。


写真は、2月にオットと行ってきた検見川神社の魔除け厄除けの石です。


本当に除けたいものは何だろう。


誰の心の中にも仏心はある。

病気の父の心にも、おそらく昨夜は電話口で鬼の形相だっただろう私の心にも。


いたずらに自分を責めることは意味がなく、かと言って自分ばかり庇うのも美しくない。


鬼の形相で泣くことだってあるんですよね、長く生きていれば。


まだたった50年だけどね。


修行は終わったはずで、楽しく学べる日々がやっときたんだ♪と喜びをかみしめていたらコレかよ‼︎


なんてボヤきたくもなりますが。


まっすぐ上昇するだけが全てじゃない、ということを身を以て経験しているのかも。


感謝だけは忘れずに。


慈しんでくれた本当の父の姿を忘れずに。


こんな経験が、いつか身を結びますように。