振り返り見つめる その7
西日本は梅雨明けしたようですね。
千葉ももうすっかり真夏の暑さですが、もうちょっと梅雨が続く予報。
しかし「梅雨の晴れ間」などという素敵なニュアンスには程遠い温度&湿度ですわよ、まったく。
な〜んてウダウダ言ってないで本文に入らねば、この総括きっと終わらない(⌒-⌒; )
だいたい、1年半を振り返るとか言っておきながら、結局幼少期(半世紀近く前!)からの振り返りになってるし!
昨日はまた滅茶苦茶面白い集いに行きましたんですが、そんな話も後、後!^^;
では参りましょう…。
*この記事はシリーズです、出来ましたら「その1」から順番にお読みください*
オットのことは、このブログでも以前から小出し?であれこれ書いているのでサクッと。(ホントか?)
2012年に福岡に転勤してから、その数年前からの鬱傾向が強まりついに2013年夏には休職することになった夫。
生活の不安はあったけれど、このまま無理を続けたら取り返しがつかないとわかっていたので「なんとかなる、とにかくしっかり休もう、辞めてもよかよ!」と肝っ玉奥さん風コスミで接すること一年半。
収入はないのに税金だけは(前年所得分にかかるから)しっかり払わねばならんし、精神状態が不安定な夫が息子にも私にもDVまがいの言動を浴びせたり、きれいごとでは済まない色んなことがあったとさ…( ; ; )
それでもなんとか、福岡から千葉に逆戻りしてオットは復職できることになり、息子の県外受験と引越しもようやく終えての再出発…というタイミングで、私の身体に限界がきたのは天の配剤だったと思う。
それまで、知らず知らずに溜め込んでいた心身の疲れが沸点を超えたのが2015年3月の終わり。
あまりに理不尽な夫の態度が引き金ではあったが、結局は長年の自分自身の考えかた、生きかた、思い込みが招いたこと。
この辺りのことは、その1からその6までに私なりに綴ってきたので、ある程度はお伝えできたという前提で話を進めよう。
2015年3月、父と夫から悪し様に言われ抵抗もできず打ちのめされ、何もかも振りすてて一人きりで逃げたい、家族も友人もいない場所で違う人生を歩みたいと思い詰めた私を、どうにか留めてくれたのが息子だった。
そのとき気の利いた台詞を言ってくれたわけでも、ことさら優しい態度で慰めてくれたわけでもない。
ただ彼は、以前オットが荒れたとき(息子に馬乗りになり首を絞めた場面は思い出すのが今でも辛い…)、私が必死で(息子のトラウマにならないよう)オットの状況を説明してオットの代わりに詫びると、こう言ってくれたのだ。
俺は大丈夫。
わかってるから。
病気のせいなんだよね。
全然、平気だよ。
14歳の男の子が、だ。
いまだに幼くみえる息子だが、当時中学二年生の彼の本質はとても大人だった。
励まそうとした私が、すっかり励まされた。
そのことを思い出し、もう少し…せめて息子が高校を卒業するまでは彼の「母親」でいよう、私まで壊れたらどうするんだ、しんどくても乗り越えよう、と思った。
その頃、眠りは毎日かなり浅く持病の腰痛や蕁麻疹が再発、意識しないと声もちゃんと出なくて、対人恐怖も日に日に酷くなっていたから、本当に藁をも掴む感じだった。
この、ズルズル沈み込むような底なし沼から抜けなければ!と強く心に決めた。
自分に合うヒーリングを求めてコレと思ったところには出向き、自分なりに瞑想やマントラで平常心を保つ練習をし、何人もの方との出会いがあり、気づいたときには「底なし沼」から這い上がっていた。
沼から這い上がった私は、もう頰杖はつかない…じゃなくて(古過ぎて伝わり辛いかしら^^;)、もうサンドバッグではなかった。
と、しばらく思っていた、笑
長年染み込んだサンドバッグ体質は、そう簡単に払拭出来なかったが、少なくともオットに対しては「言われっぱなし」を止めることが出来るようになり、かといって正面からやりあうとか不機嫌に不機嫌で応える、なんてことはなかったが、不思議なくらい「オットが」変わった。
相手を変えたかったら自分が変われ、と聞いたことはあった。
そうか、これがそういうことか!と、頭ではなく身体で理解した。
今でも、オットの状態には波がある。
しかしかつてのように家庭内で荒れ狂うことはなくなったし、自暴自棄になりお酒に溺れることも殆どなくなった。
サンドバッグがあるから打ちのめしたくなる、それも真理なんだろう。
別に過去の自分を卑下するわけではない。
オットを庇いたくて言うわけでもない。
現在、息子は高2である。
背が低くて中学生みたいな外見だけど、考え方はまだまだあまちゃんだけど、人の痛みがわかる大人な部分もある。
助けてくれてありがとう、だ。
息子が生まれたとき、新米ママの私は不安でいっぱいで、家事と育児を手伝いにきてくれた母を引き止め続け、当初は一週間か10日の予定だったのに結局二カ月近く滞在させてしまった。
幸い、そのときの母は体調がよく、帰福後に寝込むということもなく、私は生まれて初めてと言っても過言ではないほどに、母に甘えることができたのだ。
それも息子の存在があったればこそ。
ある説によれば、子供は親を選んで生まれてくるそうだ。
とすると、姉と私はあの母を選んだ。
そして息子は私を選んでくれた。
なかなか無いこと、すなわち、有難いこと。
なんだかキチッとまとまりませぬが本日はこの辺で。
次回あたりで締めたいです、笑