言葉を探して今おもうことを。
ブログを書いて気持ちを整理しよう、いまの思いを残そう、もし少しでも伝えられることがあるなら伝えよう。
そう考えていた二、三日。
でも出来なかった。
そもそも理解できていないから。
理解も納得もできないと、悲しんだり怒ったりもできない。
「解散」て、なにかね?
私の中の菅原文太が渋い声で聞いてくるのも耳を塞ぎ、うっかりワイドショーなんかで興味本位に語られるのを見てしまわないようにオリンピック中継以外はテレビを消して。
悪気のない世間さまの言葉は意外とキツいことは今迄の経験上よくわかっているから、ネットニュースやフェイスブックは遠ざけて。
ツイッターは、元々スマ繋がりの鍵付き超閉鎖空間にしているから読んだり呟いたりしているけど、どうしたらいいのかなんて誰もわからない状態で…なんとかみんな堪えている、こんな状態なのに大喜利やりながら凌いでいるスマヲタを愛しく思う日々。
なんだろうなあ。
彼らが何をしたって言うんだろう。
彼らをずっと好きで、彼らにずっと支えられてきたファンが何をしたって言うんだろう。
何で大事なものを取り上げて壊されて蹴散らかされようとすることに耐えなきゃいけないんだろう。
たかがアイドル。
たかがジャニーズ。
「たかが」SMAPに、今迄どれだけ助けてもらったか話そうとしたら20年以上かかる。
私が社会人になったのと同じ年の4月に結成されたSMAP。
福岡から東京本社転勤辞令を受けたのと同じ夏にCDデビューしたSMAP。
最初の数年はお茶の間ファンに過ぎなかったけど、96年のライブからは全てのスマコンに行き続けて…ほぼ全てのスマ番組を見続けて、ラジオや雑誌をできる範囲でチェックし続けて、もう20年。
ついこの間、50年の総括めいたものをこの辺境ブログで書き上げたばかりだが、その半分近くを一緒に歩んできたスマについては何も書けずじまいだったから、以前のブログをご存知ない方には私がどれだけバカで幸せなスマヲタか伝わっていないはず…。
あの長ったらしい総括を読んでくださった方には今、改めてお伝えしたい。
常に自分を抑圧していた私が、抑圧していることに本当の意味では気づいてすらいなかった私が、真の解放と光を感じられたのは、紛れもなくSMAPがいたから。
彼らのライブで、生まれて初めて「誰かの娘」「誰かの妻」「誰かの母」という役割をかなぐり捨て、所属する組織も地域も名前すらも手放して「いまここにいるわたし」になれた瞬間、自分がどこまでも拡散する光と一体になれた瞬間、あまりにも幸せであまりにも美しくて…その奇跡のような体感をなんとかなぞらえた言葉は「宇宙遊泳」だった。
完璧な無重力。
輝きと調和。
無限の宇宙。
いろんなことがある日常を、しんどい出来事を、それぞれ乗り越えてスマコンで会える人たちがいて、ライブ後に乾杯する喜びは極上で。
スマコンがない年はホテルでDVD上映会をして、来年はあるよね、行けるよね、それまで元気でいようねと励ましあって。
たったの50年一緒に…
STAYという歌を彼らが歌ってくれたとき、スマとファンはもう揺るぎないと感じたから、どんなことが起きても大丈夫だと…いまでも思ってしまうくらい、彼らとの年月は濃密なもので。
「解散」なんて嘘だとしか思えない。
あの「謝罪会見」からずっと悪い夢を見ているとしか…あれから時間軸がぶれてしまって、ずっと4月1日なんじゃないかと思うからまだ涙も出ない。
もうエイプリルフールは飽きたから、12月31日までずっとエイプリルフールだなんて芸がなさすぎるから、もうカレンダーをめくりたい。
4月2日のSMAPは、これまでよりもっともっとバージョンアップしてるから。
それを信じて、踏ん張ってるんだから。
…なんてね。
そんなこと書きながらも、浸りきって泣けるわけでもなくて。
忘れもしない1月13日、分裂危機だの解散だのとマスコミが騒ぎたてても、全く不安に感じなかった。
似たような騒ぎは今までもあった。
この数年のSMAPを見ていれば、もうそんな低い次元にはいないと確信していたから不安なんて微塵もなかった。
ただ、1月18日の生放送を見たときから凄く禍々しい空気を感じて、これは尋常ではないと察知した。
あんな五人は、本当に初めて見たから。
…個人的な話だが、あれは誕生日の2日前だった…そして奇しくも明日はツォルキンバースデーだ…なんの符号なんだろう。
ただの偶然だし、そこに意味を見出してなんになる?
そんな内なる声もあるけど、なんにもわからないから手がかりを探したくてもがく。
お盆の真っ只中、13日。
旦那の実家のお墓参りのため茨城に行っていた夜に、携帯をいじっていた旦那が私に言った。
「スマップ、解散だって!」
「は?またそんな…ガセだから」
これまでの報道がいかに偽りと偏見に満ちていたかを考えれば、そんな情報は気にする価値もないと思いながらぐっすり寝た。
翌朝、NHKのニュースで「解散」とアナウンサーが言っても、「メンバーのコメント」を聞いても、なんの実感もわかなくて困った。
「解散」するのがなぜ12月31日なのか、「解散」するのになぜメンバー全員事務所に留まるのか。
意味がわからない。
私がわかるのはこの「解散」が、彼らの本意ではないということだけだ。
20年以上、好きで好きで見つめ続けてきた人たち。
仲が良いとか悪いとかのレベルじゃなくて、28年共に生きてきたアラフォー男性5人それぞれが、どんなにSMAPを大切にしてきたかずっと見ていたからわかる。
彼らと一緒に生きてきたマネージャーを奪い、がんじがらめにして追い詰めてついに「解散」を選ばせた存在があること、芸能界もマスコミもその存在を怖れていることも、この7カ月でよくわかったつもりだ。
どんな巨大な闇なのか、どんな手段を用いたのか、それは知らない。
ただ、その「存在」の核にあるものが、恐怖、猜疑心、嫉妬と底なしの不安であることは疑いようもない。
そんなものに大事なものを潰されようとしている…信じられないけど、本当に潰されようとしている…。
「公開処刑」と言われるほど憔悴した姿を見せられた日から、そんなになるまで、痛めつけられてボロボロなるまで耐える必要はないと考えてきた。
5人でいることでもし人間としての矜持を保てなくなるのなら、グループに固執しなくてもいいとさえ思った。
大好きなSMAPをずっと見ていたいけど、SMAPでいることに苦しむSMAPなんて見たくないから。
だけどゆっくり、時間をかけて少しずつ、歪められて狂わされたものが戻れば、蘇ると信じて過ごしてきた。
年明けのラジオで「今年は踏ん張る」と語ったリーダーの言葉を灯りにした。
スマスマで5人で歌う「糸」を聴いて、きっとなんとかなると希望が湧いた。
CDデビュー25周年という記念すべき年、でも今年はスマコンは無理だろうと感じていたけれど、踏ん張りながら待っていた。
来年を。
来年がまだ無理なら再来年を。
まさか…。
お盆休みの真っ只中にあんな不意打ちを食らうなんて。
あのコメントは、特長がすごく現れているから確かにメンバーの言葉だとは思う。
だけど真意が伝わらない。
直筆でもない。
今迄の彼らは、大事な言葉は大事に大事に伝えてくれたのに。
何故だかわからないが、ユーミンのno sideがあれから頭の中で鳴り止まない。
何をゴールに決めて
何を犠牲にしたの
誰も知らず…
それでも。
夢を見すぎだと気づいているけど。
現実逃避かもしれないけど。
この先に彼らの「華麗なる逆襲」があるとどこかで信じている。
ほんとうにききたいのはほんとうのことばだけです
ほんとうにたいせつなのはほんとうのかれらだけです
こっちまで、恐怖と猜疑心と嫉妬と不安に塗り込められては元も子もない。
わたしには何の力もないけど、SMAPを好きでい続けるパワーは彼らから貰っている。
ダークサイドに堕ちることなく、これからもずっとSMAPを好きでいる。
12月31日までに、まだ彼らも、そしてファンも酷い仕打ちを受けるかもしれない。
想像できないほど醜いものがこの世にはあるから。
この世には、なんてヒトゴトのように書いたけど、ひとりひとりの胸のうちも似たようなものだ。
それがわかっているからこそ、腹を括り現実を生きる。
現実を生きるけど、軸を保って光を目指す。
あーあ。
まとまらん。
ハーモニックコンバージェンスの日なのに、それらしいことも出来ず…
いや。
実は私なりにそれらしいことをしているのかも。
上手く言えないけど。
SMAPのこと以外にもいっぱい書きたいことがあって、ウーッとなる。
ひとまずの総括が済んだからホッとひといき、なんて感じていた自分に喝を入れられたのかな。
明日は、できれば「花」を買いたい。
せかいにひとつだけのはな。
いまさら買ってどうするの、と不思議に思うかもしれないけど、私ができる「SMAP愛してるけんね」の表明として…300万枚達成できたら「光」のサイドのニュースになるから、きっと。