振り返り見つめる その4
☆この記事はシリーズです、出来ましたら「その1」から順にお読みください☆
・2009.2.17(KIN105、赤い磁気の蛇)
母が74歳で亡くなった。
この日のこと、それに続く日々のことは、以前のブログ(当ブログではなく、別の場所で書いていたもの)に幾つかの記事として既に書いたので、今は割愛する。
いま肝心なのは、亡くなったあとに姉と遺品整理をしながら話したこと。
どちらからともなく「あの日のこと」を語り出した。
暑い夏の日。
東京は千駄ヶ谷のアパート。
鬱で具合が悪く、布団に伏せっている母。
その横に張り付くように、心配顔の姉。
私はリビングを隔てた和室にいて、二人の気配を感じながらこんなふうに思っていた。
あ〜、ママは今、一人になりたいんだな。
でもお姉ちゃんが離れなくて、一人になれないんだ。
だから私は姉に呼びかけた。
「お姉ちゃん、ピアノ教えて」
姉は「今はダメ!」と強い声で答える。
「行ってやりなさい」と母が言う。
もう一度、私は姉に呼びかける。
おねえちゃーん、おしえて。
母が姉を促し、しぶしぶ姉は私のいる部屋にやってくる。
ホッとする私。
これでママはちょっとらくちんかも。
不思議なほどはっきりと、そんな心の動きを覚えている。
その次からの記憶は、コマ送りだ。
寝室から走ってリビングをぬけ、一目散にベランダに向かい、そして母は、飛んだ。
幸いそこはアパートの二階だったから、母は死なずに済んだ。
おそらく姉がおとなりさんに助けを求めて救急車がきて、母は運ばれ、しばらくは入院したが、退院してきた日の記憶はない。
ありありと思い出せるのは、自分自身の後悔。
私が間違っていた。
ごめんなさい。
私のせいだ。
母の側を離れたくないと言っていた姉に、そして母に、仕事に行っていてその場にいなかった父にも、ずっと詫びていた。
心の中でだけだ、口にすることなど出来なかった。
きっとそのときに決めたのだろう、「私は私の気持ちなどいくらでも封じ込める。私が黙っていればうまくいくならば、いくらでも黙っている」と。
もちろんそれは無意識のうち。
その出来事がトラウマであるという事実さえ、長い長い間、気づかなかった。
気づいた後も、それをなんとかせねばとは思わず、誰にだってなんらかの暗闇はあると思い、あまりおおごとだと感じないように努めてきた…気がする。
ただ、姉と改めてその話をしたときに衝撃的だったことが一つある。
私が千駄ヶ谷に住んでいたのは小学校一年生が終わるまで。
だから、その出来事は6歳の夏だろうと思い込んでいたのだ。
細部にわたり感情の記憶があるから、それ以下の年ではないだろう、と考えていたのだ。
しかし姉は「あれは私が小学校二年生だった時よ、7歳の夏だった」と言った。
それでは、私はそのとき3歳だったのか…3歳で、あんな出来事を体験し、あんな決意をし、最近になってようやくわかった「自分のサンドバッグ体質」を生んだきっかけにしてしまったのか…と。
母が亡くなり、初めてきちんと姉とその日の話をしてわかったことだ。
父にいたっては、あの日のことは「事故」だと思い込もうとしていたらしい。
姉と話す中でそのこともわかった。
教訓。人間は、耐えられない場合は事実を敢えて誤認する。
また、人間は、耐えられない場合は記憶を封じ込めて日常を送る。
3歳の自分…ピアノのある和室で、そこからはベランダも見えて、母が飛び降りる瞬間も全て目に焼きついてしまった、幼い幼い女の子は、たぶんその日から心の中で麦わら帽子を目深に被り、俯いて眼を閉じて、自分の本心を口にするのは「悪」であるという信念を軸に生きていくことに専念したのだろう。
4歳上の姉は気丈にも、隣人を呼びに行き私を励ましてくれたはずだ。
私は、ただ泣くことしか出来なかった。
そんな記憶。
・再び2015.7.24(KIN112)
「自分に対する怒り」が身体にあると教えてくださった久美さんにポツリポツリと話を聞いてもらい、初めて全部吐き出せたと感じた、去年の夏。
時間を外した日の前日。
繰り返すが、それは私の絶対反対KINの日でもあった。
時間を外した日は、渋谷のヨガスタジオでキールタン(歌うマントラ)とヨーガ哲学を学び、KIN28の友人Dさんと食事をした。
もうすっかり霧が晴れて、清々しい自分を感じていた。
本当はまだ、霧は少し残っていたけれど。
でも、いろんなことがつながり、クリアになりつつあるのは間違いなかった。
・2015.8.6(KIN125 赤い銀河の蛇)
いつも通っている近所のヨガスタジオで「呼吸で燃やす75分」というプログラムに参加。レッスンの最後に短い瞑想の時間があった。
そこで、あまり意図しなかったが、3歳の自分が自然に現れた。
項垂れる背中に手を当てて、そっと声をかけることができた。
「あなたのせいじゃないんだよ。誰も悪くないの。あなたも、ママも、おねえちゃんも、パパも、誰も。あなたは、悪くない。」
それはおそらく、麦わら帽子をやっと脱げた瞬間。
白い帯は、それからずっと私の丹田のあたりに結ばれている。
シリーズは、もう少しだけ続く予定。
はー目が疲れた!
でもすっとしたーーーーー‼︎