宇宙のコスミで

13の月の暦、アーユルヴェーダ、呼吸法、シンギングボウル。いろいろ学んでいることについて、または日常のあれこれについて、マイペースで語るブログです。愛してやまないSMAP、新しい地図のことなども☆どなた様もごゆるりと^_−☆

振り返り見つめる その6

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*この記事はシリーズです、出来ましたら「その1」から順番にお読みください*

*ちなみに本日は二回目の更新です*


さて、次はオットのことを書こう…と思っていたが、ふと気が変わった。

何故かワカランが、次は姉のことを書かねば!といま急に感じたので、素直にその直感に従おう。


姉は、私の四つ年上。

KIN79青い磁気の嵐…ピッタリだ、笑


小さな頃は身体が弱かった姉だが、小学校高学年で扁桃腺の手術をしたのちは見違えるように健康になり、今も昔も痩せてはいるものの心身ともに、強い。

私とは「神秘」の関係だからだろうか、いまではとても仲の良い姉妹だと思う。

(二人とも幼い日には喧嘩もしたけれど。)


姉は、7歳の夏に「母がベランダから飛び降りる」ところを目撃した。

横には3歳の妹(私)がいて、おそらく固まって泣いていただろうが、まず彼女は助けを求めなくてはならなかった。

お隣さんの家のチャイムを鳴らし、起きたことを話し、救急車を呼んでもらい…病院に一緒に行ったのだろうか…そのあたりの記憶は私にも姉にも、まるでない。


彼女は、姉だったからこそあそこまで強くなったのだ。

怯えて泣く妹の横で、自分がしっかりしなくては‼︎と心に誓ったのだと思う。

母が入院中は、学校に行きながら家事もかなりやってくれた。


私には私のトラウマがあるけれど、彼女にも彼女のトラウマがあるのだ。


「飛び降りた」という出来事よりも、もっと根深く彼女の心に巣くった闇はきっと、母が生涯何度も繰り返した言葉。


「私がこんなふうになったのは、育児ノイローゼが原因だ」という、呪いの言葉。


私にもそれは相当に響いたけれど、姉はその数倍深く痛めつけられたのではないかと考える。

何故なら、姉が幼少期に身体が弱くて手がかかり、神経質で育てにくい子だったと何回も母に言われたから。


妹の私は、放っておいてもニコニコしているような「おっとりした育てやすい子」だったと、これも何回も聞かされた。

それでも育児は大変だと。


だから姉と私は、母の具合が悪くなるのは自分たちのせいだとずっと思っていた。

私が中学生、姉が高校生のころだろうか…母の入院中、二人で深夜まで話したことがあった。


「あれ(母の躁鬱病)は、私たちのせいじゃないよね」

育児ノイローゼが原因だって言ってたけど、今はもう小さな子どもはいないんだし

「そもそも脳の病気でしょう?まだちゃんと解明されてないけど」

「とにかく私たちは、あの言葉に傷ついてきたよね」


そんな会話をして、暗く救われた。

明るく、ではない。

母を批判し、母の病を憎み、母の言動を跳ね返す。

それは救われる行為だったが、私たちは笑えなかった。


それでも、同じ境遇の味方がいることは力強かった。

タイプは正反対の姉と私が、親友のように仲良くなったのはその会話以降だ。


姉は家族の中で「強くあること」を自分に課した。

私は家族に対して「優しくあること」を課した。

役割を演じ分けたのだ。


母が亡くなったときに、私は自分でも信じられないくらい泣いた。

いろいろな感情が押し寄せて収集がつかず、母が亡くなった病院でひたすら泣いた。


姉は、もちろん泣いたけれどもすぐに泣き止み私に言った。


「あんた、泣きすぎ」


心底ビックリした。

それがとても強い口調だったから。

義兄も驚き「いや、今日ぐらいどんなに泣いたっていいだろう」と宥めてくれた。


姉も、泣きたかったんだろうな。

私みたいに泣ければもう少し楽になるだろうと、どこかで感じていたんだろうな。

 

今ならわかる。

私の身体には外に放出できない「怒り」が蓄積されていたが、姉の身体には放出できない「悲しみ」が、たぶん今も詰まっている。


「強くしっかりした長女」を長年演じすぎて、自分でも気づいていないかもしれないもの…私だって泣きたかった、私だって優しい子と言われたかった…そんな思いが詰まっている…そう思う。


すまんかったね、姉よ。

私は私で苦しかったけど。

お姉ちゃんもきつかったやろうね、今度会ったら泣かせちゃるよ。

嫌かもしれんけど、泣かせちゃるけんね。


親や家族の前で、泣いてもいいし、怒ってもいいんだもんね、私たちはそれぞれ勝手に封印してきたけどね。


私の「怒りの封印」が本当の意味で解けたのは、つい最近のことだ。

(父がまた「御乱心」あそばして単身上京し、数々のトラブルを起こして帰福したあとに、夜中に最低な電話をかけてきて、初めて家族に対して「切れた」経緯は、当ブログにも書いたので…よろしければ2月〜3月の過去記事をご参照ください。)


人生って興味深い。

もはや「今生は修行である」とは思っていないけれど、「なにか大きな力に導かれ、学びつくすようプログラムされている」ような気はする。

決して悲観的な意味ではなく。 


気づくまで、繰り返し繰り返し、同じテーマの「課題」がやってくる。

よし、課題クリア!なんて思っても、また違うテーマで「宿題」が出される。


面白すぎる!

ちょっとだけヤケも入りつつ、でも私はいまの自分がかなり好きなので。

臆面もなく書きますが、かなり好きなので。


まだまだ人生、楽しもうと思ってます!


さらに続く。

(しつこい?^^;^^;^^;)